マラリア闘病記

 

どうも、大川です。

コンゴでは5月15日より乾期に入りました。

そもそも、コンゴには四季はなく雨期と乾期という2シーズンです。

乾期はだいたい毎日27℃くらい。これからほんの少し涼しくなるそうです。

 

 

久しぶりに記事を書く前に1つ。

この「コンゴでコンゴ。」も書き始めてもうじき3ヶ月目を迎えます。

ご愛読いただき、毎度ありがとうございます。

 

ただ、最近なかなか書けない時が続き、このブログをみても何も更新されていない事態がずっと続いていたと思います。

 

僕からは日々のアクセス数をチェックできるようになっているので、毎日ちゃんと誰かが見にきてくれていることがわかっていました。

 

僕にとって、皆さんが日々見てくださっているのにその期待を裏切る、下回る、という行為は自分自身に対してとても腹立たしいことです。そして、とにかく皆さんに申し訳ない。

 

したがって、大川は決めました。

 

①週1回更新。

②facebookやtwitterにリンクを貼ってお知らせ。

・Facebook http://www.facebook.com/haru.ohkawa

・Twitter  https://twitter.com/#!/HAL33333

 

③それから、同じくコンゴに滞在中の盟友森裕紀のブログには、毎回とても興味深いことが書いてあります。こちらも合わせて是非ご覧になって下さい。将来最強のビジネスマンになる男です。きっと毎回面白いです。

http://sfcstudentincongo.wordpress.com/

 

 

それでは、長くなりました。今週のコンゴでコンゴ。どうぞ!

 

 

 

実は先日、大川の身にプチ危機が訪れたのでした。

 

 

皆さんはマラリアを知っていますか?

きっと一度は聞いた事があると思います。

 

 

実は僕、先日そのマラリアに感染しました。

熱帯熱マラリアという、アフリカ特有のやつです。

 

マラリアは”基本的には”死に至る病ではありませんが、コンゴは世界で一番マラリアによって亡くなる方が多い国です。その数毎年3万人以上。

 

僕のマラリアは、発見が早く、そして幸い日本大使館で薬をいただけたので大事には至りませんでしたが、闘病した1週間はなかなか過酷なものでした。以下10のステップでマラリアを実況します。

 

まず、マラリアは蚊によって感染する病です。ハマダラ蚊という、1000匹に6匹の確立で生存する蚊が夜中に人間の体内に卵を植え付けるところから始まります。植え付けてから10日~2週間後、何万という卵は人間の肝臓で孵化し、肝臓から出ようとします。その出ようとする瞬間、人間の熱は急激に上がり、40℃を越します。

 

《Step1》

僕の感覚では、マラリアはある日突然、背中に水をさされたようなひやっと冷たい感覚で始まりました。シャツの上から水が一滴ずつ上から垂らされる感覚。翌日も、背中の感覚がおかしく、背中だけ寒気がする感じでした。

 

《Step2》

これまた深刻な問題なのが、コンゴには外国人がかかれるしっかりとした病院がありません。1個だけフランス人がやっている病院はあっても、毎月何十ユーロ払っていないと診療してもらえません。

 

《Step3》

困った大川は、ひとまず日本大使館の方に連絡。医務官の方に臨時で診断していただき、マラリアの薬を処方してもらえました。幸運でした。これが運命の分かれ道だったかもしれません。

 

《Step4》

そして、その後ついに熱が出始めました。みるみる内に熱が上がり、一気に39℃。そこから寒気が止まらなくなりました。モーフを被っても、コートを着ても、寝袋に入っても寒くて気がおかしくなりそうでした。この時点で熱は40℃。解熱剤は一切効かず、3日間ずっと40℃を越す熱が出ていました。

 

《Step5》

仕舞いには41℃。感覚的には、手と足が焼けそうな感じ。ひたすら手と足が熱くて痛い。食事はほとんど取れず、おまけに睡眠が取れない。睡眠は、時間にすると寝てはいるんですが1時間すると絶対に起きてしまう。

 

 

それも、未だに忘れられないのは、毎回決まった夢を見たこと。

 

《Step6》

その夢とは、テトリスのようなものを永遠とやらされて、いつも最後の長い棒1本が足りなくてクリアできない。そしてクリアできないと起きてしまうという夢。が、1回だけクリアできまして、そのときだけは3時間くらい寝れました笑

(これを期に、大川がテトリスをやることはもう二度となくなったでしょう)

 

 

 

そんなことを3日間繰り返し、もうへとへと。体重は10キロ減。

しかし、緊急用であった点滴のおかげですぐに5キロは回復。

 

ですが、それより何より一番苦しかったのが、意識が錯乱したことでした。

 

《Step7》

脳では立つ、歩くという信号を出しているつもりでも、それが不思議とできない。もうそれだけで泣きそうになりました。仕舞いには気が滅入り、早くコンゴから抜け出したい、日本に帰りたいと弱音だらけに。こんなことはじめてでした。

(幸い今は大丈夫笑)

 

 

その後、熱は下がりましたがマラリアの第2の症状は続きます。

それは、貧血です。

 

マラリアは、「赤血球の怪我」と呼ばれたりしますが、その所以がここに。

孵化した何万というマラリアは、各赤血球にくっつき、その赤血球を引きちぎろうとします。結果、赤血球がどんどん減っていき、貧血になります。《Step8》

 

僕はそこまでひどくありませんでしたが、これがその後1週間以上続きます。

 

それ以降、マラリアは完全に消滅します。

幸い後遺症はなく、ただ免疫はつかないので、またかかることは存分にあります。

 

 

マラリア、それはもうひどく辛かったです。感覚的にはインフルエンザの3倍くらいでしょうか。

 

 

でも、実はマラリアと互角なくらい辛いことが同時にありました。

 

《Step9》

それは、非常に残念なことに、僕の部屋が盛大に魚臭かったことです。

 

 

もうとにかく臭い。くさい。クサイ。

マラリアで意識が飛びそうになっても、ずっと臭っていました。

 

原因は、隣の部屋の冷蔵庫から魚のエキスが漏れ、それが僕の部屋に浸水したこと。僕の部屋は一時期、魚のエキスで床がひたひたになりました。

 

 

マラリアでかつ魚のエキスに部屋を浸水されるとどうなるか。

①奇跡的に鼻が慣れない

②1時間に1回起きた際、ファブリーズを部屋と自分に吹きかける

③愛用していた抱き枕が魚のエキスで一杯の床に落ちる 《Step10》

 

 

それはもう辛いですわ、マラリア。

ええもう。

 

 

マラリアになった直後。荒手のピース詐欺。

 

 

 

それから、忘れてはいけないことが。。

 

コンゴで生活して早1年。将来は偉大なる文化人類学者。

27歳の声が大きい野人、高村伸吾さんのブログもあります。

http://wp.me/p2idND-y

 

コンゴでは僕と森裕紀、そして伸吾さんの3人で生活しているのでした。

マラリア闘病記」への6件のフィードバック

  1. まえぴ より:

    おーかわくん!初めて大川くんのコンゴでコンゴ!を読みました笑
    その後、体重は戻りましたか?
    全体の0.6%飛び交っている蚊に刺されるなんて…すごいですね、さすがだと思います。笑

    大川くんにとってとても大事件だったと思いますが、読んでいてとても楽しかったです。
    これからはちょくちょく見に来るので、ぜひ!週1で更新してください(^-^)

    • haruohkawa より:

      まえぴさん、見つけていただきありがとうございます!僕はもう元気です。継続はそんなに得意ではありませんが、この際克服してみます。笑

  2. フランスのM より:

    またまたビックリですよー・・・
    3万人も死ぬ病気!?無事でヨカッタ~。

    森裕紀サンのブログも見てみました。
    アジア人は日本人、中国人、シンゴに分類されているというところに感銘を受けました。

    • haruohkawa より:

      フランスのMさん、お久しぶりです!未だにデスクトップはフランスのレストランのままです。笑

      僕はなんとか元気でやってます。コンゴから帰る時、またフランスに寄ると思います。そのときは是非またよろしくお願い致します。

  3. Ayako Masunaga より:

    生きてる?もう心配したよ。まあ、マラリアかかったって聞いたときは笑っちゃったけど。ごめん。いっぱい吸収して、たくさん感じ取ってきてくださいーー^^私も負けじとがんばります!!

    • haruohkawa より:

      あやこ、俺もこんなに簡単にマラリアにかかるとは思わなかったわ。笑
      YAはどう?充実?帰ったらまたClub33に連れてってくれ!

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