皆さん、どうも!大川です。今日も見に来て下さり、ありがとうございます!
そして、お知らせが大変遅くなりまして申し訳ございません!
今年度から、ブログを下記に移転致しました!!!!!!!!!
「コンゴでコンゴ。SEASON2」
今年からよりパワフルに!是非、ご覧下さい!
大川晴
皆さん、どうも!大川です。今日も見に来て下さり、ありがとうございます!
そして、お知らせが大変遅くなりまして申し訳ございません!
今年度から、ブログを下記に移転致しました!!!!!!!!!
「コンゴでコンゴ。SEASON2」
今年からよりパワフルに!是非、ご覧下さい!
大川晴
どうも、大川晴です。
前号から早半年。久しぶりの更新になりました。
しかし、今回は増刊号。ということで、ここ半年の出来事からこれからのこと、全てを余す事なく書き切ろうと思います。それこそ、「コンゴで今後」。
まず、振り返れば昨年9月。自分が普及を進めてきた「アルティメット」というスポーツが、コンゴ政府より正式にオフィシャルスポーツと公認されてから、色々なものが変化していきました。
・ひとつには、コンゴの小中高、そして大学にて、「体育科目」としてアルティメットが導入されはじめたこと。これは全国普及に向けた大きな一歩であり、これが実現できてはじめてアルティメットというスポーツがコンゴの歴史に残るのだと思います。
・そしてふたつ目は、我々が作った団体「コンゴ民主共和国フライングディスク協会」(いうなればサッカーでいう日本サッカー協会のようなもの)が政府公認団体になったことで、露骨に周りの我々に対する扱いが変わった事。たとえば、学校に指導に赴いても、以前は追い返されたりすることもありましたが、政府公認という響きが入ると実にスムーズに進むようになりました。
(左の日本人の方は、僕のお世話になっている先輩です。日本からわざわざ訪ねてきてくれました。笑)
・そして最後に。これは本当に恐れ多いことですが、私自身が、コンゴ民主共和国アルティメットナショナルチームの代表監督に就任したということです。これに関してはどうも恐れ多すぎてアルティメットをやっている人たちの前でこういう話をするのははばかられますが、これは大川のひとつの決断でした。
コンゴには普及が進んで間もない関係で、大川よりアルティメットを知っている人がいない、という現実です。日本でアルティメットを曲がりなりにも3年間プレーしていた経験を持つ大川は、一応アルティメットの試合中に守るべきルールなどは知っています。そして、どんな流れで試合が進んで行くのかも知っているつもりです。しかし、コンゴではまだその大川が持つその3年間分の知識を知るだけでなく、活かし、教えて行く体制が整っていません。したがって、今の時期は、まだ大川が指導を続けて行く使命にあります。結果、大川は代表監督という任を受けることになりました。
このような形でコンゴで活動していました。
ですが、実際はそれも去年の12月中旬までの話です。
それ以降は、実は日本にいます。今も日本です。
ではなぜ日本に帰ってきたかというと、
こちらです。「TEDxKeioSFC」
http://tedxkeiosfc.com/speaker.php
こちらに昨年末スピーカーとして招待していただきまして、登壇させていただきました。
タイトルは「1枚のフリスビーでアフリカを変える」というものです。
コンゴでアルティメットをフ普及させる傍ら、このスポーツを通じて平和を生み出したい、という思いをスピーチしました。
しかし思い出すと昨年春、まだ何も何遂げていなかったとき、大川はコンゴに住む仲間と共に、自分が実現したい夢を180個くらい紙に書いて部屋に貼って朝晩見返したり、それでも足りずに毎朝起きて30分以内で自分が近々達成したい夢を10個あげて、手段を書いてみたり、そんなことをずっと続けていました。
(大川の部屋。壁に貼ってあるのが夢リスト)
そんな中でも、「TED」という価値あるアイディアを世界に広めるためのイベントに出ることは、自分にとってひとつの夢でした。
そして今回、「TEDに出る」という夢物語は「TEDxKeioSFCに出る」という形で実際に実現したのでした。スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
きっと今だったらもっとうまくできそうな気はするけれど、これが紛れもなく、あのときのスーパーベストです。
そして、これを皮切りに、今度は雑誌にも登場させていただきました。
「ソトコト」(表題は「コンゴを熱狂させた男」このフレーズお気に入りです笑)
それと、これも記念すべきことでしたが、ちょうど本日発売の「AERA」にも巻末のU25という企画の中で特集していただきました。
「代表監督は、現役大学生」
AERAは、大川が大学1年生の頃に定期購読していた雑誌です。
だからこそ、これをみて非常に感慨深いものがありました。
そして更に光栄なことに、大川が在籍している慶應大学の湘南藤沢キャンパス、通称「SFC」で年間で活躍した人たちを表彰する「2012年度SFC STUDENT AWARD」に選んでいただき、受賞させていただきました。(共にコンゴで戦った森裕紀と共同受賞しました。)
さて、そうして今にいたる訳です。
この6カ月、相変わらず色々なことがあったことがお分かりいただいたかと思います。笑
しかし、これからが本題です。
「じゃあこれからどうするの?」
そこで、ちょっと話はそれますが、大川はコンゴでアルティメットを普及させること、そして公認スポーツに昇華させること、更にもっというなれば、自分が今の大学に入ったこと、そこで出会った人、今までの経験全ては、「運命」だと考えています。
だから、たとえ目の前に自分の思うようにならなかったことがあったり、日常のどんな些細なことでさえも、「元から決まっていたものだから」と割り切って考える癖があります。しかし、そこには「どこかで神様かなんかが、大川がよりいい道に進めるように仕組んでくれている」という根拠のない自信が存在しているわけです。それこそ、ピンチはチャンス。どんなときでも、きっといい方向に自分が進んでいると考えて行動します。
「元から決まっていた」
これは時に大川を強くさせるものです。
ある意味これで、後悔という行為がなくなるからです。
しかし、今回少し困ったことが起きました。
それは、言葉で表すのがなんとも難しいですが、強いて言うなれば、自分の「使命」が、自分の「運命」を越して行ったという感じでしょうか。
…と、ちょっとかっこよく書いてしまいましたが、この感覚は紛れもなく自分の中で芽生え、そして自分自身を深く悩ませるものでした。
先ほども少し書きましたが、
「コンゴでアルティメットを普及させることは運命だった」
そうだとして、それがひとつの運命だとして、そんな大川が日本で「就職活動」をするとどうなるでしょうか。
これは書こうか書くまいか結構悩みました。しかし余すところなく書くといったので、書きます。
実は大川はこの日本に帰ってきている間、少しですが就職活動をしました。企業を色々見に行ったり、話を聞きに行ったり。もちろん筆記試験も受けて、面接もしました。
なぜなら、大川も来年大学を卒業するからです。
卒業したら、学生としてでなく、「社会人」として生きていくことになります。
「コンゴでアルティメットを普及させています。今は代表監督として活動をしています」
そんなことを面接で言うのですが、反応としては、ただ驚かれたり、「それがうちとどう関係するの?」と聞き返されたりしていました。
最もかもしれません。ですがもっと問題なのは、大川自身が発する自らの答えに納得していない、ということでした。
なぜなら、この発展中のコンゴでの活動をやめる理由が特別見つからなかったからです。
唯一あるとすれば、その会社で働くことで、やめる、というものでしょうか。
つまり、大川はほぼ全てのことを運命だと割り切って考えてきましたが、今回、自分の根幹にある「使命」が、気づかぬ間に運命よりも大きなものに成長していたのです。それも強烈なほどです。
コンゴでアルティメットを普及させること、そして平和を実現させること。これは今では運命ではなく、大川の使命です。なぜなら、このことはここまできてしまったら、大川にしかできないからです。
もし普及活動さえしていなかったら、きっと大川以外の人が何年後かに本格的に、もしかしたら今よりもっとうまく普及させていたかもしれません。しかし、大川はもう、普及をはじめてしまって、それでたくさんの人を渦に巻き込んでしまった。
自分にしかできないことを、なぜ使命といわないことができるでしょうか。
「なぜ生まれてきたのか」これは普遍的なテーマですが、大川は今、ひとつだけど、本当にひとつですが見つけてしまいました。
それこそが、「コンゴにアルティメットを普及させ、平和を考えること」
だから、もう少し、あと少し、いや、もっとちゃんと活動していこうと思っています。
今年の6月、またコンゴに戻ることにしました。
そして、今、大川はこれにかけています。
https://readyfor.jp/projects/congo-ultimate
ここに立ち上げたプロジェクトは、さっそく今年度末予定しているアルティメットの「全国大会」です。コンゴ全土(日本の面積の約6倍)から選抜チームを集めてきて、全国規模で盛り上げます。
今はそれを実現するための資金を集めており、READYFOR?というクラウンドファンディングのサイトでプロジェクトを立ち上げ、現在募集期間になります。
ただ、もしも6月17日までに100万円集まらなかったなら、全て0になってしまいます。
そこで、増刊号の最後にお願いがございます。
もし、大川の活動に少しでも共感していただけるようでしたら、大変恐縮ですが少しで構いません。お力をお貸しいただけませんか。ご協力いただいたあかつきには、わずかながらお返しの品も用意させていただきます。
詳しくはこちらをご覧下さい。
https://readyfor.jp/projects/congo-ultimate
2000円からこのプロジェクトに投資することが可能です。
額によって「リターン」というお返しの種類が変わる仕組みになっております。
本当ならば直接出向いて頭を下げるのが礼儀かと思いますが、この場をお借りして、お願いさせていただいております。申し訳ございません。ただ、しっかりと成果をあげご報告させていただきます。
しかし、それにしても今本当に資金が足りておらず。。
このプロジェクトが成立しなければ、今年の全国への活動の道は閉ざされてしまいます。
目安としては、150万円ほど集められたらと思っております。
しかし、覚悟は決めました。
大川も必死で頑張ります。よろしくお願い致します。
また、全国大会を開催すること以外の使命のひとつには、コンゴにある11州の内、6州に拠点を展開し、それぞれでチームを組織し、チャンピオンシップを開催するというものがあります。現在は首都のみですが、いよいよ今年は全国です。
全国進出には、ただ単に普及というものだけではなく、これを達成するとコンゴ政府より補助金対象のスポーツとして認定されるという特典があります。それこそ、サッカーに次ぐ全国スポーツにアルティメットがなります。
そうすれば、雇用が生まれます。アルティメットでひとつの新しい産業が生まれます。
そして、「平和のスポーツ、アルティメット」というものが全国に広がって行けば、どんな効果が生まれるのかは、計り知れません。
したがって、今年はいよいよ全国展開を始める年です。
どんどん進出します。そして、全国から選手を集め、正式にコンゴ民主共和国代表を組織したいと思います。(もしかしたら、とんでもない化け物がコンゴには眠っているかもしれません。)
今年は本当に面白い年になりそうです。とても大きな年になります。
そしてすみません、増刊号最後の最後です。
以下の動画は、コンゴから日本に帰ってくるときに、コンゴ民主共和国フライングディスク協会の相方から、
「この動画を日本に持って行ってくれ!そしてコンゴのアルティメットの存在を世界に示してくれ!」
なんていって渡されたものです。
素晴らしい動画だと思います。
是非、ご覧下さい。
ひさしぶりに更新したので、たくさん書く事がありました。笑
改めましてみなさん、お久しぶりでした。
こんな私ですが、コンゴとも、よろしくお願い致します。
大川晴
どうも、コンゴフリークな皆様、こんにちは。大川です。
前回の更新から。早3ヶ月くらい。これまたいかん。
気づけばコンゴは雨期。
突然雨が降り、熱い。
そうそう、僕が住んでいる首都キンシャサでは、
「雨が降ると休み」
っていう暗黙の了解が存在しているみたいです。そもそも、コンゴ人って、なんだかみんな傘を持ち歩かないんです。雨降ってるのに!っていう状況でも、雨宿りか、傘をささずに歩いています。なので先日、とある雨の日にコンゴ人にきいてみました。
大:「なんで雨降ってるのにコンゴ人は傘をささないの?持っていないの?」
コ:「傘は持ってる。でも、ここでは雨が降ると休みっていう考え方があるから、あえてもたない。でも、その考え方はここ、首都キンシャサのみ。他の都市に行くと、みんな傘をさしてるよ」
大:「ほお。今雨降ってきたけど、傘貸してあげようか?」
コ:「いや、いいよ笑」
という感じらしいです。不思議なもんですね。
—
ということでまずはごめんなさい。
前回は公認スポーツになったあたりまで書いていたと思いますが、それ以降のことが全く書かれていません。でも大丈夫、今でも大きく動いています。今日はその一部を書きます。まず、前回「第一回キンシャサカップ」について書きましたので、その続きから。
この大会は、コンゴ民主共和国の首都キンシャサに存在するアルティメットチームを集め、一番強いチームはどこなのかはっきりさせようじゃないか!ということではじまったものです。決勝戦の開催は2012年9月1日。 その名も、「第一回キンシャサカップ」
そこで、まず大会を開くにも、どうしたら開催できるのかということから。
大会を開くということは、とりあえずチームを集め、その辺で試合をやって一番を決める、という単純なことなのですが、それだけじゃ満足がいかん、ということでまあ色々なことをやるわけです。
ということで、まずすること 。
①「会場を借りる」
どうせやるからには、大きくやりたい!との思いから、会場もとびきり大きな会場を借りようと意気込みます。といっても、そんな会場どこにあるか。日本のようにその辺にちゃんとした施設などはないので、考えられる選択肢は2つ。
選択肢1:中国のODAで作られた、コンゴで一番大きな新しいスタジアム
選択肢2:「キンシャサの奇跡」の現場でもある、一番歴史の古いスタジアム
でした。2つとも規模は大きく、大会を開催するにはばっちりということで、いざ交渉に入ります。
手法はいたって簡単。スタジアム管理者に直接会いにいく、それです。
交渉内容としては
「7月・8月間で、3週連続、しかも土日に貸してほしい、そしてとびっきり安くお願い」
まず、選択肢1の方は、「さすがにそれは無理でしょうよ”」といった感じでノックアウト。
まあ確かに。
そして選択肢2。交渉内容は変えません。
現地マネージャー(現コンゴ民主共和国フライングディスク協会会長)のモザールさんが乗り込みます。
すると。。
なんと即断、OK!!!!
交渉内容そのままOK、料金に関しても、我々はコンゴ民主共和国の認可団体とのことで、破格の値段で交渉成立!
上々の滑り出しです。
そしてすること2つ目。
②「大会スポンサーを募る」
これまた大事!
大会をやるからには、スポンサー企業なんてものを集めてみたらそれまたGreatじゃないか!ということからこの度実行に移してみました。
狙いは、協賛金を集めること、そして協賛物資(飲み物など)を集めることでした。
でもどうやったらそういう類いのことができるのか?
今回実行した手法は2つ。
ひとつ目、「突撃あるのみ」
コンゴに存在する会社に片っ端から赴き、手紙を添え、向こうからの返事を待ちます。
しかし、これは難しい。なんてたって、向こうは全くこちらを認識していないため、当然相手にされません。これは困った。
ということでふたつ目、「コネをコネくりまくる」
最終的に、これしかない!ということから、コンゴ民主共和国フライングディスクディスク協会に所属するメンバーのコネを使う事になりました。この会社のこの人知ってるよ!ということであれば、その人に直接連絡を取り、会い、上層部に話を通してもらう。ということ。
これは結構うまくいき、最終的にはコンゴに存在する大企業のお偉いさんとお会いする機会を多数持てました。そして、その場で我々の活動をプレゼンします。
しかし!!痛恨なことは、大会開催まで2週間もない、ということでした。
そんな短期間でスポンサー契約を結ぶのは難しい、と言われるばかりです。
ということで、今回のこの大会のスポンサーを募ることは、結果からいうとうまくいきませんでした。ただ、来年度に関しては、支援をしてくれそうな企業もあり、また来年、チャレンジすることになりました。
それでは気を取り直して、大会へ向けてすること③!
③「メディアを呼ぶ」
会場、スポンサーと来たら、次はメディアの協力の仰ぎます。
「コンゴ民主共和国に新しいスポーツ来る!!」をメインアイディアに、コンゴ全土に放送してもらったならば一斉にアルティメットの知名度が上がります。しかもコンゴは地味にテレビ社会。もちろん地域によっては電気がないなどでテレビを見る事はできませんが、情報のほとんどはテレビを通じて流れていくのが常。
ということでまずはテレビ局に営業に行きます。
狙うは日本でいう、フジテレビ・テレ朝・TBS的なポジションのテレビ局。
直接テレビ局に赴き、趣旨を説明、ウケれば放送、という流れです。
ただ、それにしても、テレビ局が各地に点在しすぎて、とにかく移動が大変。笑
日本みたいに、ある程度都心にあったりはせず、たとえ大きなテレビ局だっととしても都心から車で2時間みたいな感じでした。
…そして、実際ウケるかというと、それが結構いける。
結果的には、狙っていったすべてのテレビ局、計4局からOKをもらい、大会当日の取材や、更には事前告知までもできることに。
ということで、テレビ出演。大会告知をしてきました。笑
この番組は、日本でいう「スポルト」のような番組だそうです。
ちなみに、番組に出るのは本当に突然のことで、OKでてからすぐ次の日、指定された時間に行くとまずはメイク室に通され、メイクされます。笑
ファンデーションで更に白くなる私。
終わったかと思うと、次はいきなり現場です。
どんなことをしゃべるとも言われず、とりあえずセッティングします。
そして、「今日のスポーツ」的なコーナーにて、アルティメットを紹介。
意外と長い時間をとってくれたみたいです。しかも生放送笑
そんなこんなで、最終的にはテレビ局4局、ラジオ1局、新聞社2社の協力を得る事ができました。
④「集客」
大きな会場でやるからには、観客もいなきゃならんですよね。
ということで、集客します。
先ほどのテレビも然りですが、当日お呼びするスポーツ省大臣、それから、キンシャサ州のスポーツ市長まで、これまた直接赴き、当日来てもらうように営業営業。
また、チラシを作り配ったり、それからコンゴにいる外国人の方にも来てほしいと思い、アメリカ大使館やイギリス大使館のメーリングリストや広報誌に情報を載っけてもらいました。
そんなこんなで、準備は終了!
それでは!!本番いってみましょう!!
本番、2012年9月1日、この日は朝から快晴。
この日は、第一回キンシャサカップの決勝戦、そして我々、コンゴ民主共和国フライングディスク協会の調印式、オフィシャルセレモニーが開かれます。
前日、急遽当日のスケジュールが変わるなどあれど、順調にお客さんが集まりだします。
そして、いざはじまった決勝戦。こんなきれいな芝の上でプレーできなんて最高ですね。
彼らは、ストリートチルドレン、という言い方をしたら失礼ですが、本当に普通の子供たちです。
しかし、アルティメットを一生懸命練習し、今日この舞台までたどり着きました。この姿に感動です。よく頑張っていました。
そして、もう一試合。
実は、この日決勝戦以外にも、何か催しができないか大川は悩んでいました。
そんなとき思いついたのがこの企画。
「初のインターナショナルマッチ!コンゴVS日本」
仕掛けは簡単。コンゴのオールスターチームと、コンゴにいらっしゃる数少ない日本人の方を集め、日本代表として戦うのです!熱い!
ということで何日か前に、JICAの皆さんを中心にお声がけさせていただきまして、当日は、その期間コンゴに来ていた我らが慶應SFC長谷部研究室のメンバーと合同で、即席の日本代表を作りました。
当日、現在同研究室に所属している歌手のKINUに日本代表国歌を歌っていただき、我々もこんな大きな舞台ではじめての国歌斉唱。じーんときたきた。
がしかし!!日本チームにはアルティメットのプレー経験がある人はいません!
がしかし!!我らはかかんにコンゴ代表に挑みました。
結果、すみません。9-2でぼろ負けでした。
ですが、この試合中一番がこの日一番の大盛り上がり。
スタンンドには総勢500名を越す観客が訪れ、声援を送ってくれました。
試合の後にはスポーツ省大臣、といってもこの日は副大臣の方が代理で来られ、コンゴにおけるアルティメット誕生のオフィシャルセレモニーが行われました。
大川も、アルティメットについてプレゼンテーションをしました。
ご覧のように、SONY様からサポートしていただいてるタブレットPCをフル活用!
そして無事、調印も終えました。
以上より、
2012年9月1日、我々が作ったコンゴ民主共和国フライングディスク協会が政府公認団体になるとともに、アルティメットが国の公式種目に本登録されました。
おめでたい!!
そして、後日、テレビや新聞などでいたるところでこの日の報道がなされました。
メディアの皆さん、ありがとう!!
これでまた、大きな一歩を踏み出した気がします。
皆様、お久しぶりです。大川です。
ずばり、この1ヶ月間の間に コンゴならでは様々なことが起こりまして、現在に至ります。
ひーひーしながら過ごした日々もあれば、ただ待ちぼうけをして終わった1日もありました。
ただ、今日はとてもビックなニュースがあります。
本日、2012年8月16日、コンゴ民主共和国に新しいスポーツが誕生しました。
それは、”アルティメット”というスポーツです。
今日の午後15時頃、コンゴ民主共和国首都キンシャサにある最高裁判所に赴き、スポーツ省、政府、そして裁判所と全ての審査を終えた文書を受け取りました。
これによって、コンゴのスポーツ省、そしてコンゴ政府、それから法によってこのアルティメットというスポーツが公式種目としてコンゴで認められたことになります。
それから、私達が作った団体である、FCDV(Fédération Congolaise du Disque Volant)、日本語で「コンゴ民主共和国フライングディスク協会」も政府から認められた正式な団体として、コンゴ全土で活動することが可能になりました。
今は、この稲妻のような出来事にあまり実感は湧かず、でもそんなこと言ってどこかで湧いているのかもしれません。
というのも、今すごくうれしいんです。
なんというのか、最初は本当に趣味の範囲で始めたアルティメット。
大学1年生の頃、新歓していた先輩がいい人だったのではじめました。1年生の頃はそのあまりの練習量と体力の消耗具合に、いつかやめてやる!なんてずっと思っていました。笑”
そんな僕がいざコンゴに渡航することが決まったとき、自分にできることが大学3年間で培った少々のアルティメットしかないことに気付いたとき、こんな事態になるとは想像もつかなかったでしょう。300枚のフリスビーがコンゴに上陸するなんて、誰が予想できたでしょう。
でも僕は思うんですが、アルティメットというスポーツは、ただのスポーツではないはずです。
だって、このスポーツ審判が一切存在しないんです。笑
アルティメットは、審判ではなくプレーヤー自身がプレーについて判断を下します。たとえば、今目の前のプレーヤーがファールをした場合、ジャッジするのは他ならぬフィールドにいるプレーヤーです。
このことが何を意味するかというと、”Spirit of the game”のようなものになると思います。プレーヤー同士がお互いを思い、フェアプレーに徹する。
これって結構素敵なスポーツだと僕自身思ってます。これこそがアルティメットの醍醐味だとも。
で、これをコンゴに普及させたら、どうなるんだろう、なんて考えながら活動してます。
外国からコンゴに来た人は、よくコンゴ人のことを道徳がないとか、規律や秩序を知らないといいます。
実際どうでしょうか。
もうすぐ半年こちらに滞在しますが、そのままにして言うと、それはある意味で真理だと思います。
僕は日本人だからわかりますが、特に日本から来た人にとって、これは感じずにはいられないことだと思います。
ですが、僕にはその道徳心や規律や秩序を教え込むことが彼らにとって必ずしもいいことであるとは思いません。それは文化が違うからこそ、国々が持つ個性のようなものだと僕は思っています。
ただ、その道徳心なるもの、アルティメットでいったら相手のことを思う、フェアにプレーする、という概念自体は、知っておいていいことだとも思います。そういうことを一度知る事ができれば、何かが変わることだってきっとあると。
だからこそ、僕はアルティメットというスポーツを、このコンゴという国に、いまだに治安も結構悪く、国の右側では紛争も起こってるこの国で、目一杯広める価値はあるのだと考えています。
で、一度やったことがある人はわかると思いますが、アルティメットって突き詰めれば魔法みたいなことをフリスビーを使ってやることも可能だし、はじめてやっても結構楽しいものなんです。老若男女問わず、誰にだって、そしてどこでだってできます。
だから僕は今うれしいんです。これからもっとたくさんの人にアルティメットをプレーしてもらえることは、本当に素晴らしいことだと思います。
自分がいいな、素敵だなと思ったものが、恐縮ながら徐々にたくさんの人々に認められ、ついには日本から遠く離れたここ、アフリカのコンゴ民主共和国やこの国の法律にも認めていただきました。
日本のみなさん、やりましたよ!それから応援してくださっているみなさん、ここまで来ましたよ!300枚のディスクを送って下さったみなさん、みなさんのおかげでコンゴに新しいスポーツが誕生しましたよ!
そんなことを今日思いながら。
本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました。
しかし、もちろんこれで終わりではありません。
この半年の間、アルティメット、それからコンゴ民主共和国フライングディスク協会をオフィシャルにする、という目標の他にも進めていたことがいくつかあります。
それがこれ、ででん、「第1回キンシャサカップ」です。
実はこの大会はもう始まっています。笑
コンゴにできたアルティメットチームを集めて、現在毎週土曜日、日曜日とチャンピョンシップを開催中です。これも準備はなかなか大変でした。
来る25日には決勝戦、そしてオープニングパーティーが開催されます。とにかく色んな人が来ます。ちなみにテレビや新聞も来ます。ということでついに全国デビュー笑 今からスピーチの練習します。笑
ということで、こんな感じで相変わらずやってます!
今日も元気です!
大川
こんにちは。大川です。
300枚のフリスビーも無事こちらに届き、一安心。
このフリスビー達は、徐々に新しい指導者の元へ渡っていってます。
しかし、「フリスビーが必要です」と政府に言われてから、3ヶ月の期間がそこにはありました。
僕はフリスビーが来るまでどうしようか、何をすべきか、散々考えたんです。
仕舞いには、実はこの舞台には裏側もあったりして、ある日、スポーツ省を訪れた時、スポーツ省ナンバー3の方から
ナ:「これから、スポーツ省内にアルティメット特別対策チームを作ろうと思う」
大:「!!」
ナ:「しかし、それには……(沈黙)…..何かが必要だ」
大:「はあ」
ナ:「君は日本から来たと言ったね。日本では協力者もいるんだろう?」
大:「はい」
ナ:「仕事をするということは、何が必要かわかるかな」
大:「わかりません」
まあ、知らんぷりしておけばなんとかなるとか思ったんですが、まあなんとかならず笑
結局、政府主導に動く代わりにお金を要求されるという展開に。
でも、この賄賂体質みたいなもの、賄賂っていう単語だけみたら”悪質”って感じですが、僕最近思うんですが
これは賄賂ではなく、シェアなのだ、ということです。
コンゴ人は、僕ら外人をみるだけですぐ「金をくれ」「お腹が減った」と言ってなにかをせがんできます。
そういうときは、「金はないよ」っていってやめてもらうわけですが、最近コンゴ人を よーくみてると、どうも事情がちと違うようなのです。
どうやら、コンゴ社会には、「持つものが持たざるものにシェアする」という慣習が非常に強く根付いているそうです。
みてると、年は関係なく、友達同士とかも関係なく、「お金がない」「お腹が減った」という人にはみな簡単にお金をあげています。たとえ自分のお金がそんなになくとも、自分より困っている人は助ける、というのが公然のルールのようです。
しかも、それは先生と生徒の関係性でも成り立ち、生徒が先生に個人的にお金をあげるのも特別なことじゃないらしいです。
僕はそれをみたとき結構驚いて、「あんた先生でしょ!」って思わず言ってしまいましたが、「問題ない」と高らかにあしらわれました。
そして、道でお金をせがむ人にも、当然のようにお金をあげる姿をよく見ます。
こういう文化が根付く背景のひとつとしては、やはり経済の停滞等があるのでしょう。
全体的に、どの職種をとっても給料がしっかり支払われていないという現実。
コンゴ人は、全体的にゆっくりしています。
それを怠惰と言ってしまったらそれまでです。
先日あるコンゴ人ビジネスマン知り合いに、
「なぜコンゴ人はみなゆっくりしてるのか」
ときいたところ、
「誰だって、働いてるのにお金がもらえなかったらそりゃ怠惰になるだろう」
「No money ,No workさ」
なんて言ってました。
確かに。
そんなとこから、今一度大川が直面した「賄賂体質」みたいなものを考えてみると、
[アフリカの特質。悪の根源。支援慣れ。腐敗政治]
というのが我々にとって最初に浮かぶワードですが、
今回の場合、政府にアルティメット事業、アルティメットという仕事を発注する、という名目で考えてみれば、
そこにお金を支払うのは当然のことかもしれません。
むしろ、今のコンゴ社会はそのようにして回っているように思います。
賄賂を支払うという行為ではなく、仕事を与える、更にはシェアして恊働するという感覚。
ただ、今でこそそう思いますが、当時の僕は、ただただ賄賂みたいなものにおびえるばかりで、絶対金など払わん!の一点張りでした。
そこで、アルティメットの現地マネージャーであるモザールさんに相談。
すると、ある答えに辿り着きました。
「今の政府との交渉自体は一度断ち切って、大臣の側近を仲間につける」
こんな最初の段階で、政府と賄賂交渉を続けたところで権力、お金問題で泥沼化することは必須でした。したがって、一度そこは避け、その回りを囲む役人自体に個人的にオファーをかけ、仲間に引き入れてしまおうという作戦をとってみることにしました。
まず、自分のコミュニティの力を強くする。
こうしてできたのが、コンゴ民主共和国フライングディスク協会 FCDV(仮)です。現在はまだ世界フライングディスク協会に申請中なので決定とまではいきませんが、世界にあるフライングディスク協会をコンゴにも作ってしまおうとしています。
初期メンバーは9名。今は12名ほどでしょうか。彼らがそれぞれ地区のリーダーとして、チームを2、3組織し、地盤を固めていく作戦です。
課題の役人を引き入れるという作戦でしたが、モザールさんの交渉術により、なんとさっそくメンバーに1名加わってくれることに。
こうして現在、日々ミーティングを重ねながら着々とやっています。
ミーティング時の使用言語は、フランス語とリンガラ語。
言語を除けば、愛想しか残らないことに最近気付きかされてます笑“
そして、つい先日、かつてからの野望であった、政府にアルティメットをコンゴの公認スポーツとして申請するという作業をこなしてきました。20ページほどの内容を練り、書き、申請。丸々一ヶ月ほどかけて、みんなで作りました。
なんせこのチームにはスポーツ省の役人さんがいらっしゃるので、話が早い。用紙から申請まで、その方を通じてうまくやれました。
これが成功すると、サッカー、バスケットボール、テニスなどのスポーツと、アルティメットがついに肩を並べることになります。
現在申請中。明日、一度修正版がこちらに返ってくるところです。
大川です。
先日は「コンゴでコンゴ。」Facebookや様々なメディアでたくさんの反響をいただきまして、誠にありがとうございました。本HPの大元であるwordpressさんの人気記事になったりもして、うれしい!!
(小さくてごめんなさい)
これまた、皆様に感謝でございます。ありがとうございました。
さて、本日お伝えするのは標題にもあります通り、この度、新しい協賛企業様に活動を支えていただく事になりました。
株式会社ちゃんぬ’s Cafeさんです。
先日、代表取締役の白井様より直接ご連絡を頂きました。
白井様とは直接面識はなかったものの、SFCの先輩にあたる方です。
そして、この度、株式会社Happys様と提携して販売をされている「ネッククーラー」という商品をコンゴでアルティメットをする子供達に100個無償で提供してくださることになりました。
ちなみに慶應公式バージョンだそうです。すごい!
ネッククーラは今年の夏にコンゴにやってきます。
熱く、水も不足している練習において、このネッククーラーは大きな役割を果たしてくれることでしょう。白井様、この度はありがとうございました。
重ねて、クラブジュニア様、SONY様、ミカサ様、いただいたものは全て、大切に使わせていただいております。ありがとうございます。
そして、日頃からコンゴでコンゴをお読みになってくださる皆様、いつもありがとうございます。日本から遠く離れたこの地で、大川は元気にやっています。
そして、大川はまたひとつ、ここコンゴで自分にできることを追求し新しいことをやってみようと思います。
只今戦略構想中。
コンゴの社会問題と、正面から向き合います。
大川です。
うれしいご報告があります。
昨日、日本から遥々13376キロの距離を経て、ついに、300枚のフリスビーがここ、コンゴ民主共和国キンシャサにやって参りました。
やった!!!!!
元々、今年の3月、スポーツ省でのミーティングにおいて、スポーツ省ナンバー3の方よりアルティメットをコンゴ民主共和国のナショナルスポーツとして迎え入れたいと突然の申し出がありました。
本当は、僕はアルティメットは趣味の範囲での、というかストレス発散要因の活動予定でしたが、これで大きく路線変更になりました。
そして、後日、体育科目としてこの国に持ち込んだらどうかと提案をいただき、今年の3月下旬、実際に200人の体育教師を前に3日間のアルティメット講習と練習を行いました。
しかし、いざ普及の段階に入る前に、フリスビーの数を確保することが必要だという結論に。
そこで、私達の活動を全面的にサポートしてくださっているクラブジュニアの吉田社長に3月某日、メールを入れました。
“なんとかフリスビーをコンゴまで持って来れないでしょうか”
というあつかましいお願いに、吉田社長は本当に親身になって応えて下さり、日本全国から募集をかけて下さることになりました。 http://blog.clubjr.jp/?day=20120322(クラブジュニア通信より)
あれから2ヶ月。日本全国から集められたフリスビーは300枚。
そして、今この瞬間、コンゴ民主共和国に300枚のフリスビーが存在しています。僕自身も、まさか、こんなにも早くここまで持って来れるとは思いませんでした。
第一、300枚ものフリスビーをこの国に輸送するのは、通常莫大な予算と3ヶ月〜半年という長い月日がかかります。そして、土地柄ここに来るまでに盗難にあい、輸送されてくる確立は実に低いと大使館にも言われていました。
しかし、今回、実に幸運なことに、コンゴで日頃からお世話になっている国連職員の邑本さんが日本からコンゴに来る際、帯同して持ってきて下さる、というタイミング的には奇跡のようなことが起こりました。
国連職員の邑本さんは通常よりも多くの荷物を飛行機に預けることができました。そして、荷物の超過料金を払う事で、一度にこちらに持って来れるという特権を僕らは得ました。しかも、その超過分は、クラブジュニア社長自ら負担して下さいました。本当にどう感謝の言葉を表現したらいいか、わかりません。
そうして、まさかとは思いますが、今、目の前に300枚のフリスビーがあります。その全てが、日本の皆さんの気持ちのこもったフリスビーです。
(邑本さんより、贈呈式@コンゴ井上さん宅)
僕、コンゴにフリスビー300枚が届いた日、その300枚全てを取り出し、1枚1枚自分の手で確認したんです。
そうしたら、中には今までの大会ごとの記念ディスクだったものや、仲間へのメッセージが書かれたもの、そして、私達のライバルである大学から頂いたディスクには、チームホームページのURLがちゃっかり書かれていました。(さすがWaseda笑)
今更こんなこと言うのも申し訳ないのですが、僕は、本当は大したことないアルティメッターなんです。今更すみません。
一応大学3年間は大学のチームに所属はしていましたが、大した活躍もしていないし、アルティメット大好き!なんていうタイプではありませんでした。本音を言えば、なんとなく、本当になんとなく続けていました。
そんな僕でも、いざコンゴに渡航することが決まったとき、当時の大川晴にできることは、一応続けていたアルティメットしかなかったんです。フランス語もリンガラ語もしゃべれなかったけれど、僕はスポーツの力を信じて、0から本気で広めてみようと考えました。
2010年のワールドカップで日本がカメルーンに勝ったとき、下北沢の街が一体になったことを思い出します。勝ったとき、たくさんハイタッチをし抱き合いました。でもみんな知らない人でした。イチローがWBCの韓国戦でセンター前ヒットを打った瞬間、涙が流れました。
言語を通り越して、人を動かす、国を動かすのは、実はスポーツだったりするのかもしれません。
そんな力を信じ、今も僕はコンゴでアルティメットを普及させようと首都キンシャサ中をおんぼろ乗り合いタクシーで行脚中です。まだまだ成果は出ないかもしれませんが、着実に着実に。それでも今コンゴには12チームのアルティメットチームがあります。対象は、その辺に住む8歳〜55歳の子供からおじいさんまで。
貧困のど真ん中にいる人たちが、貧困に打ち勝ち、夢を描き世界に出、立派に活動する姿を僕も一緒になって実現していきたい。政府や制度のしがらみによって、幸せを奪われること、そんなこと国を変えてなくしたい。
この信念に向かって、僕は様々な角度からコンゴという国に切り込んで行こうと思っています。アルティメットも、その内の大切なひとつです。
この300枚のフリスビーは、本当に全国北海道から沖縄まで、色々な所、そして人からここアフリカ大陸に渡ってきたんですね。
この感謝の気持ちを、どう皆さんにお伝えしたらいいのか、戸惑っています。ただひらすら、ありがとうございました。そんな言葉しか思い浮かびません。
そうして、今日の夕方、こんなことをしてみました。
届いたフリスビー300枚を全部使って、メッセージを作ろうと考えました。
このアイディアと実行には、同じときと場所を日々共有する頼もしい仲間、伸吾さんと裕紀が全力で手伝ってくれました。いつもありがとう。
みなさんに伝わるといいなあ。
3人で協力して作りました。
そうして、これが今の僕が最も考え抜いた答えです。
全国のみなさんに、伝わりますように。
今日も見に来て下さりありがとうございます。
マラリアに感染してから、完全なる蚊恐怖症になりました、大川です。
さて、アフリカ大陸に渡ってきて早3ヶ月。
そういえばコンゴにはファーストフード店が一軒もありません。
マックとか、ケンタッキーとか、そういえばない。それでも今度ケンタッキーがコンゴに初上陸するなんて話を聞いた事はありますが、果たして本当でしょうか。
要は、ビックマックが食べたい、ということ。
(でもこれも一応パンなので却下)
さてさて、考えてみれば、この3ヶ月、自分の人生にとってあまりにイレギュラーでした。
どっかの予備校の広告じゃないけど、「なんで私がアフリカに」みたいな感じです。
今はこんなことをしていますが、僕は元々、国際貢献とか、アフリカとか、発展途上国での活動とか、そういう類のものには関心がないタイプでした。大学2年生の頃の僕でも、大学を休学してコンゴへ1年間、なんていう選択肢は考えてもみなかったです。
僕は、正直に言うと、日本にいたとき、コンゴに1年間行く事で、「何者かになれる」と考えていました。
僕は、大学生活3年目を迎えた時、何にもなれていない自分に、ただひたすら焦っていたのです。
そんな僕も、気付けば大学を休学し、コンゴにいるわけで。
この3ヶ月は、日本語を教えたり
アルティメットを普及させてみたり
男3人でむさくるしい生活を送ったり
(くしゃくしゃになる伸吾さん)
ついでにマラリアにもなりました。
僕が日々やっていることは、大学を休学して、コンゴという環境が180℃違う国に来て、たくさんの時間を使って自分を見つめ、フロンティアスピリットを鍛え、試し、吠える。
昼夜
吠える。吠える。吠える。
僕はここに言語を勉強してきたわけではありません。
お金を稼ぎにきたわけでもありません。
まして旅行に来たわけでもありません。
僕が本当にやりたいことは、この1年間、ここコンゴ民主共和国で、一日本人として、大川晴として、
目一杯コンゴに、アフリカに、仕掛けに仕掛けて、大きなムーブメントを作り、いずれそれが人を動かし国を動かし、コンゴの、アフリカの大きな声を世界にあげることです。
僕はそこに自分がコンゴに来た意味を見出しました。
ただの傍観者ではなく、問題発見をし、そして問題を解決する。自分で作り出す、ということをしようと決意しました。
そんなことをして、みんながみんな幸せになっていったらいいなあ、と少し本気で思っています。
こんなこと、日本にいたときは考えたこともありませんでした。
でも、今はそう思います。コンゴ、という土地に来て、自分がすべきことが見えてきたような気がします。
今日もまた、コンゴの東部では資源や人種をかけた残虐な内紛は続き、1日に何人もの人がこの世を去ります。
なんで罪のない人が殺されなければならないのでしょうか。なぜ自分の幸せを奪われなければいけないのでしょうか。
東日本大震災で、津波が日本を襲った映像を見た時、僕は強い怒りを覚えたのを忘れません。
しかし、コンゴで起きることは、ほとんど人災です。
この国の紛争や貧困は、まぎれもなく、人災です。
僕は、人の幸せが国や制度、人種や秩序によって侵害されるのは、もうこの国には一杯だと思うのです。
平和の定義や、幸せの定義なんてわかりません。
でも、それは人の手によってもたらされるものであるはずです。
ここコンゴにも新しい時代を、みんなに幸せを。
ちょっとくさいけど、こんなことを少し本気で思って僕は活動していきたいのです。
そんなこと思える自分は、よっぽど幸せなのでしょう。
皆さん、いつも本当にありがとうございます。
僕は、この1年間を使って、コンゴに、アフリカに仕掛けます。
どうも、大川です。
コンゴでは5月15日より乾期に入りました。
そもそも、コンゴには四季はなく雨期と乾期という2シーズンです。
乾期はだいたい毎日27℃くらい。これからほんの少し涼しくなるそうです。
久しぶりに記事を書く前に1つ。
この「コンゴでコンゴ。」も書き始めてもうじき3ヶ月目を迎えます。
ご愛読いただき、毎度ありがとうございます。
ただ、最近なかなか書けない時が続き、このブログをみても何も更新されていない事態がずっと続いていたと思います。
僕からは日々のアクセス数をチェックできるようになっているので、毎日ちゃんと誰かが見にきてくれていることがわかっていました。
僕にとって、皆さんが日々見てくださっているのにその期待を裏切る、下回る、という行為は自分自身に対してとても腹立たしいことです。そして、とにかく皆さんに申し訳ない。
したがって、大川は決めました。
①週1回更新。
②facebookやtwitterにリンクを貼ってお知らせ。
・Facebook http://www.facebook.com/haru.ohkawa
・Twitter https://twitter.com/#!/HAL33333
③それから、同じくコンゴに滞在中の盟友森裕紀のブログには、毎回とても興味深いことが書いてあります。こちらも合わせて是非ご覧になって下さい。将来最強のビジネスマンになる男です。きっと毎回面白いです。
http://sfcstudentincongo.wordpress.com/
それでは、長くなりました。今週のコンゴでコンゴ。どうぞ!
—
実は先日、大川の身にプチ危機が訪れたのでした。
皆さんはマラリアを知っていますか?
きっと一度は聞いた事があると思います。
実は僕、先日そのマラリアに感染しました。
熱帯熱マラリアという、アフリカ特有のやつです。
マラリアは”基本的には”死に至る病ではありませんが、コンゴは世界で一番マラリアによって亡くなる方が多い国です。その数毎年3万人以上。
僕のマラリアは、発見が早く、そして幸い日本大使館で薬をいただけたので大事には至りませんでしたが、闘病した1週間はなかなか過酷なものでした。以下10のステップでマラリアを実況します。
まず、マラリアは蚊によって感染する病です。ハマダラ蚊という、1000匹に6匹の確立で生存する蚊が夜中に人間の体内に卵を植え付けるところから始まります。植え付けてから10日~2週間後、何万という卵は人間の肝臓で孵化し、肝臓から出ようとします。その出ようとする瞬間、人間の熱は急激に上がり、40℃を越します。
《Step1》
僕の感覚では、マラリアはある日突然、背中に水をさされたようなひやっと冷たい感覚で始まりました。シャツの上から水が一滴ずつ上から垂らされる感覚。翌日も、背中の感覚がおかしく、背中だけ寒気がする感じでした。
《Step2》
これまた深刻な問題なのが、コンゴには外国人がかかれるしっかりとした病院がありません。1個だけフランス人がやっている病院はあっても、毎月何十ユーロ払っていないと診療してもらえません。
《Step3》
困った大川は、ひとまず日本大使館の方に連絡。医務官の方に臨時で診断していただき、マラリアの薬を処方してもらえました。幸運でした。これが運命の分かれ道だったかもしれません。
《Step4》
そして、その後ついに熱が出始めました。みるみる内に熱が上がり、一気に39℃。そこから寒気が止まらなくなりました。モーフを被っても、コートを着ても、寝袋に入っても寒くて気がおかしくなりそうでした。この時点で熱は40℃。解熱剤は一切効かず、3日間ずっと40℃を越す熱が出ていました。
《Step5》
仕舞いには41℃。感覚的には、手と足が焼けそうな感じ。ひたすら手と足が熱くて痛い。食事はほとんど取れず、おまけに睡眠が取れない。睡眠は、時間にすると寝てはいるんですが1時間すると絶対に起きてしまう。
それも、未だに忘れられないのは、毎回決まった夢を見たこと。
《Step6》
その夢とは、テトリスのようなものを永遠とやらされて、いつも最後の長い棒1本が足りなくてクリアできない。そしてクリアできないと起きてしまうという夢。が、1回だけクリアできまして、そのときだけは3時間くらい寝れました笑
(これを期に、大川がテトリスをやることはもう二度となくなったでしょう)
そんなことを3日間繰り返し、もうへとへと。体重は10キロ減。
しかし、緊急用であった点滴のおかげですぐに5キロは回復。
ですが、それより何より一番苦しかったのが、意識が錯乱したことでした。
《Step7》
脳では立つ、歩くという信号を出しているつもりでも、それが不思議とできない。もうそれだけで泣きそうになりました。仕舞いには気が滅入り、早くコンゴから抜け出したい、日本に帰りたいと弱音だらけに。こんなことはじめてでした。
(幸い今は大丈夫笑)
その後、熱は下がりましたがマラリアの第2の症状は続きます。
それは、貧血です。
マラリアは、「赤血球の怪我」と呼ばれたりしますが、その所以がここに。
孵化した何万というマラリアは、各赤血球にくっつき、その赤血球を引きちぎろうとします。結果、赤血球がどんどん減っていき、貧血になります。《Step8》
僕はそこまでひどくありませんでしたが、これがその後1週間以上続きます。
それ以降、マラリアは完全に消滅します。
幸い後遺症はなく、ただ免疫はつかないので、またかかることは存分にあります。
マラリア、それはもうひどく辛かったです。感覚的にはインフルエンザの3倍くらいでしょうか。
でも、実はマラリアと互角なくらい辛いことが同時にありました。
《Step9》
それは、非常に残念なことに、僕の部屋が盛大に魚臭かったことです。
もうとにかく臭い。くさい。クサイ。
マラリアで意識が飛びそうになっても、ずっと臭っていました。
原因は、隣の部屋の冷蔵庫から魚のエキスが漏れ、それが僕の部屋に浸水したこと。僕の部屋は一時期、魚のエキスで床がひたひたになりました。
マラリアでかつ魚のエキスに部屋を浸水されるとどうなるか。
①奇跡的に鼻が慣れない
②1時間に1回起きた際、ファブリーズを部屋と自分に吹きかける
③愛用していた抱き枕が魚のエキスで一杯の床に落ちる 《Step10》
それはもう辛いですわ、マラリア。
ええもう。
マラリアになった直後。荒手のピース詐欺。
—
それから、忘れてはいけないことが。。
コンゴで生活して早1年。将来は偉大なる文化人類学者。
27歳の声が大きい野人、高村伸吾さんのブログもあります。
コンゴでは僕と森裕紀、そして伸吾さんの3人で生活しているのでした。
日頃から「コンゴでコンゴ。」をお読みいただいてありがとうございます。
さて、この度は「コンゴでコンゴ。特別編」と題しまして少し違うことをします。
私は、アフリカ、コンゴ民主共和国に2012年2月28日から滞在し、2013年の3月頃までここで活動をします。ちなみに、大学は休学してきています。
私の活動は、国立ISP教員大学というコンゴの教員育成のための大学で日本語を教えることがメインです。
そこにプラスしてあくまで”趣味の範囲”で、大学生活を捧げてきた「アルティメット」をコンゴに普及させてみようと思っていました。
しかし、このHPにも書きましたが、話が怒濤の急展開をみせ、今やコンゴの政府とアルティメットを普及させるためにはどうすればいいかと考える日々です。
自分の趣味だったはずが、国の新たな施策の一部になろうとしています。
前回の記事では、具体的な今後の方針を書き残しましたが、
①政府主導の元、2012年夏に首都キンシャサで500人~1000人規模の大会を開催すること
②コンゴ民主共和国フライングディスク協会を設立すること
③アルティメットをコンゴ民主共和国の体育科目として認可すること
が具体的な施策として先日決定致しました。
そこで、次の課題は、
「フリスビーをどう確保するか」というところです。
政府の見積もりによると、最低でも200枚~300枚は必要とのことでした。
そこで先日、私たちの活動を応援してくださっているクラブジュニア様にご相談したところ、日本全国からフリスビーを集めてくださるとのお話をいただきました。
http://blog.clubjr.jp/?eid=852
そして現在、日本では既に200枚近くのフリスビーが集まったと聞いております。
クラブジュニア様のブログで拝見したところ、本当にたくさんの方、チームの方から寄付をしていただけました。
(クラブジュニア通信より一部抜粋。)
これには、大川と森共々、コンゴで涙を流すほど本当に感動致しました。そして、寄付してくださった皆様には、本当に感謝しております。ありがとうございました。
しかし、もうすぐ5月になります。
予定では、5月中に日本からコンゴへ、ディスクが輸送されることになっております。
そこで、私から最後のお願いがございます。
可能な限りで構いません、1枚でも構いません。
コンゴにフリスビーを送ってくださいませんでしょうか。
コンゴではフリスビーを生産することが不可能なので、今後も輸出に頼ることになります。そこで、今コンゴでは1枚でも多くのフリスビーが必要になっています。
送る手段はこちら
①クラブジュニア様に直接送っていただく
〒124-0024 東京都葛飾区新小岩4-20-24
(JR新小岩駅南口より徒歩7分)
電話:03-3654-6123
②(アルティメッターの方であれば)慶應ハスキーズのメンバーに渡す
③t09132ho@gmail.comまでメールを送る(別途メール致します)
でございます。目処は5月初旬までを考えております。
直接出向いてお願いや、感謝を伝えられないのは非常に歯がゆいですが、来年日本に帰ったら是非お礼をさせて下さい。
コンゴに来て、こんなにも人の「輪」感じるとは思いもしませんでした。どんどんどんどん「輪」が広がって、それが今ひとつの国を動かそうとしています。
成功すれば、それこそ「奇跡」なのではないでしょうか。
「奇跡」を現実に起こすまで、私も精一杯頑張ります。
以上、何卒よろしくお願い申し上げます。
大川晴